『シン・ツチダ』『土田生酛』『Tsuchida 99』『研究醸造』といった個性豊かな酒を造る土田酒造。今まで良い酒、美味しい酒と言われてきた酒は、米を磨き、フルーティーでアミノ酸が少なく雑味の少ない上品な味わいでした。それらとは真反対と言える土田酒造のお酒ですが、なぜここまで美味しいと感じるのか、ファンの心を掴んで離さないのか。土田酒造の杜氏である星野元希さんにお話を伺いました。


とにかく酒蔵で働きたい

 群馬県川場村に蔵を構える土田酒造。以前は沼田市内、現在市役所がある場所に蔵がありました。しかし、区画整理になり移動せざるを得なくなり、いくつか候補地を探した中で、移転前と同じような水質の場所がみつかりました。酒造りにはこの水が非常に重要ということで、現在のこの場所になったといいます。湧き出ている仕込み水は誰でも汲み取ることができ、川場村の大きな農家の古民家を移築し、沼田地区の蔵をそのまま使用して売店にするなど趣のある空間となっています。

 1907年創業の土田酒造は地元に愛され続ける『誉国光』を醸す蔵。しかし、注目されるようになったのは6代目の土田祐士さんが継ぎ、現在の杜氏である星野元希さんが主導となって酒造りを始めてからでしょう。星野さんは東京バイオテクノロジー専門学校 醸造発酵コースを2006年3月に卒業。専門学校に進学したのも、高校生の時に酒造りの仕事をやってみたいと思ったから。

 「友人が農大に行くって聞いたんですけど…自分はバイク大好き、部活大好き、遊ぶの大好き、でも勉強大嫌い。そんな感じだったので、専門学校なら3年制でそのまま就職という流れがあるのではないかと選びました。」

 とにかく酒蔵で働いてみたい、卒業したらすぐに働きたいと考えていましたが、そう簡単にはいきません。ツテも何もなくどうしたらよいのかと、とにかく酒造組合サイトを見て雇って欲しいと電話をかけまくった星野さん。その時に土田さんからオファーを頂いたのを機に入社が決まったそうです。

 星野さんは杉並区出身ではありますが、父親が群馬県昭和村の出身、祖父の家に月1ペースで遊びに来ていたといいます。昭和村は赤城山麓に広がる村で、野菜畑が広がる美しい場所。北端から西端にかけて片品川と利根川が流れ、水が豊富な場所でもあります。その美味しい水を小さい頃から飲んでいた星野さんは、水の魅力を知らず知らずの間に体感していたのでしょう。

 「働くなら水の綺麗な場所。そして愛着のある群馬県の酒蔵がいいなぁ、と思っていた」というのですから、その願いが土田酒造へ伝わったのかもしれません。

 土田酒造は2006年までは越後杜氏が居ました。星野さんが入社した時は杜氏が在籍していたため、酒造りに関して話を聞くことが出来たと振り返ります。しかし、専門学校は清酒免許が無かったためワイン発酵が主な実習で、日本酒に関しては素人だったそう。土田酒造での仕事は配達や営業、その隙間を縫って酒造りの手伝いをするようになっていきました。


群馬県最年少の杜氏に

 長年、越後杜氏が『誉国光』を造って来ましたが、2007年からは土田祐士社長が杜氏となって酒造りが始まりました。星野さんも、出荷作業をメインに働きつつ、酒造りの現場に顔を出し、仕事を手伝ったり造りの知識を吸収するようになります。その熱意を汲み取った社長が、星野さんを頭にしました。現在は、杜氏制度をやめて社員全員がどのポジションでも仕事が出来るよう指導していく酒蔵も増え、酒造りの近代化が進み季節労働者が減ったことで呼び名が変わってしまったのが現状です。

 しかし昔から酒蔵には杜氏を頂点に、頭(かしら)、代司(だいし)、酛屋(もとや)といった役割が存在していました。頭は実質酒造りのNo.2で杜氏の右腕です。頭として杜氏兼社長を支えながら仕事をこなし、2012年、当時27歳という群馬県で一番若い杜氏が誕生しました。しかし、「引き継いだばかりの頃はどうやって良いのか分からず不安ばかりが大きくて、同じ味になるか心配でならなかった」と星野さん。とにかく今までと変わらない商品に仕上げるという毎日が続きました。


言えない添加物の違和感

 酒造りの知識も増え、安定的な酒造りが出来るようになり、様々なことに目が行き渡るようになった頃「添加物を準備するのが面倒くさいなって思うようになって。これって必要?と土田社長と話すようになったんです」と星野さん。

 実は、日本酒には表示義務の無い添加物というのが多くあります。例えば酵母も記載しなくてよい添加物で、殆どの蔵は酵母を添加することで発酵させています。他にも酒母を酸性の環境にすることで雑菌の繁殖を抑える醸造用乳酸、仕込み水に発酵を促す成分が不足している場合には成分調整が認められているなど、実際には様々なものが添加されているのが実状です。

 ある時期、酒販店が見学に来ることが何度かあった際「乳酸添加しているところを説明するって嫌だよな…」と考えるようになり、同時にアルコール添加に関しても同じだったといいます。「添加物を入れてる違和感。それは、よく分からないものを入れるって後ろめたい気持ちでした。」そこから添加物を入れない、誰に話しても恥ずかしく無い酒造りの道へと進んでいきます。

 まずは水加工をやめてみたら問題なく発酵し、「それなら必要無いよね」という結論に達し、これを機に杜氏の感覚と社長の考えが一致したのもあり添加物を徐々にやめていき、山廃造りへと挑戦するようになっていったのです。 

 2013年に初めて山廃造りに着手した土田酒造。以前から山廃仕込みを行なっている島岡酒造にはお世話になったといいます。

「島岡さんは県内の先輩で、技術研究会で会った時に細かく作業方法を教えてもらったんです。実は、添加物入れるの嫌だなとか言いながら、本当に酒になるのか、とにかく不安で仕方なかった。島岡さんにはこれで大丈夫なのかと毎朝毎朝電話して、すごく迷惑をかけました。」

 島岡さんの心強い言葉とアドバイスで何とか酒には仕上がり、自分も楽しく酒造りが出来たという実感が湧いた星野さん。とにかく楽しくなっちゃったのでこのまま続けます!と宣言。当時は清酒を使った化粧水の販売をしていたため、その酒を山廃で仕込むという、通常ラインに大きく影響しない程度で試し、徐々に拡大していきました。


全量山廃、全量純米へ

 2014年、経営コンサルタントを入れて分析してもらった結果、「今の地元向けの普通酒頼みだと状況だと売り上げは右肩下がり。」と現実を突きつけられた土田酒造。その時、だったら、市場は純米が伸びてるので、純米で有名になろう。それだったら、全国新酒鑑評会で純米で金賞とればいいんじゃない?という安易な考えからの発想でした。

 しかし、自分の造りたい酒とは?どういう酒が良いのか?実際には明確なイメージがありませんでした。そこで、100社ほどのメーカーの清酒を並べて利き酒をすることに。

 「イケてる蔵、イケてる酒と言われているものをイケてる酒屋から買ったんです。それを全部ずらっと並べて社長と利き酒しました」その中で「自分が好きなお酒は新政、九平次、磯自慢の3つだった」と星野さん。特に驚いたのが新政のエクリュ。「圧倒的にうまくて圧倒的に個性的。こんな酒を造ってみたい、と完全にロックオンしちゃいました」土田社長とも同意見だったため、新政を目指すことになったのです。

 ところが、なぜこんな酒ができるのか、どうなっているのか不思議でならなかった、全くわからなかったといいます。

 「当時はツテもなくこんな地方の地元の普通酒を作る蔵なんて相手にしてもらえないだろう、どうしたらこの造りを知ることができるのだろう、と悩んでいました」

 そんな折、他県も参加できるという栃木県の勉強会の案内がファックスで送られてきました。『ゲスト:新政酒造』と書かれた文字をみて、これだ!と参加。しかし「講習会の内容も全くわからなかった。自分が今までやってきたこと、考えてきたことと全く違う。真逆なことばかりだった」と振り返ります。「とりあえず、自分が今常識だと思っていたことを外し、空っぽな状態で話を聞かないと何も入ってこないと思った。もう凄すぎて、聞いている人たちからも質問が出ないほどだったんです」

 受け取った資料を穴が開くほど読み込み、分からないことは新政酒造へ質問するといったことを繰り返すうちに、研修として受け入れて貰えることになりました。星野さんの熱意が伝わったのでしょう、新政酒造の佐藤社長と当時の醸造責任者である古関杜氏は、ノウハウを隠すことなく伝授してくれるように。その翌年に見事鑑評会で金賞受賞。「速醸の純米、山田錦40パーセント精米、901号酵母」これが速醸造りの最後となりました。金賞を獲ったことで自信にも繋がり、社長からも太鼓判。

 「“このまま普通酒メインにしてても、10年後にはどうせ潰れちゃうなら自分たちのやりたいことをやろう、それでダメだったらごめん“って。そこまで言うなら自分も造りたい酒を造る!と話し合ったんです」2017年に社員全員で話し合い、全員が同意をしてくれたことで土田酒造の全ての造りを添加物なし、純米の山廃仕込みにすると決定したのです。

 徐々に山廃だけでなく生酛造りも行うようになっていった土田酒造。生酛で酵母無添加の酒を造ってみたいと考えていた星野さんですが、実は酵母無添加では発酵しなかったという大失敗の経験があり、成功方法を探っていました。その時、新政酒造の佐藤社長から「菩提酛をたてたらどうか」とアドバイスされたのです。

 菩提酛というのは、室町時代に奈良県で編み出されたと言われている酒母(酛)造り。生米、炊いた米、水を合わせて「そやし水」を造り、それを使って酒母を育てていくのです。そやし水はヨーグルトのような酸っぱい香りがし、酸性であるため雑菌を排除する効果があります。天然の乳酸菌を活かした造りで、発酵を促してくれる重要な酛であるため、これを培養液として生酛酒母に入れるという当時では伝統的でありながら画期的な方法。「余計な菌も入ってくるからやめたほうがいい。わざわざ菩提酛を造らなくても。」そんな声が周りから多くかけられることもあったようですが「佐藤社長が出来ると言うなら出来るに決まっている!って、完全に思い込んでいたんです」と笑う星野さん。菩提酛についても徹底的に研究しながら造りに入ったのが成功し、「酵母無添加で真っ当なお酒が完成したのはそれが初めてだった」と振り返ります。


全て飯米、群馬県産の米

 土田酒造の清酒は、全て飯米です。これだけラインナップも多く、そして挑戦的な商品も多い中、飯米にこだわる理由はなんでしょうか。

 「経済的なメリットが大きいというのが正直なところ。最初は麹だけは酒造好適米を使っていたんですが、飯米でも十分に麹ができることがわかってきたんです」

 最初の頃は、飯米でもそれなりの麹ができちゃった、それなら飯米の割合を多くしていこう、そんな感じだったといいます。今は思い通りの麹が造れるようになったこと、群馬県産の米であると自信を持って言えること、地元の農家から米を購入できるという理由から進んで飯米にしているそうです。

 一番多く占めている銘柄は「あさひの夢」。農家が無理なく作れて収量が多く、安定的に確保できるから。しかし、飯米は固く割れやすいと言われています。

 「実際にその通りです。でも、まだまだ自分たちの技術は米が割れるとか、文句を言えるところまで達していないと思います。まずは飯米の良さを出しながら、自分たちの技術向上の努力をしなければなりません」

 美味しい米があればお酒にしたい、そういう考えがあるのでしょう。プリンセスサリーやハッピーヒルといった米を使うのも、飯米を原料にしている土田酒造ならでは。プリンセスサリーは、最高級のインディカ米であるバスマティライスを日本で栽培しやすいように改良した品種。ハッピーヒルは自然栽培の先駆け、福岡さんが作った品種で陸稲でも水稲でも育つ珍しいお米です。これらを低精米のまま醸したお酒は、アミノ酸が高くグルコースはしっかり残っているのに何故か軽快さを兼ね備えていて、米をそのまま炊いて味わった時の印象にも似ていました。

 特徴的な味わいの多い商品ですが、酒質はどう決定しているのかというと「味のイメージを強く持つ」ことが大事だと星野さん。当然、搾る時の数値の設定はしていますが、醪の味をみながら作業の変更は都度あるようです。例えば追い水をするかしないか、もう少し甘みを足したいから4段を掛ける、といった作業もその時に決めることが多いといいます。

 「最初の頃 “こういう酒ができちゃった” という感覚だったんですが、 “この味にしたいからこういう工程にする” という造り方に変わってきました。その先に、“味を狙わない” というものがあると思うんですけど、そこまでまだまだ長いかな」


酒造りは楽しい!

 勉強が嫌いだと言っていた星野さんですが、学習力はずば抜けて高く、好きなことへ対する探究心と研究心は底知れません。現在は、木桶を増やしていきたいといいます。「木桶ってすごく大変、管理が本当に面倒なんです。でもとにかく楽しい。例えば100大変だとしても楽しさが101くらいあるんです。楽しさがちょっとでも多ければやりたくてたまらない」

 更にはクラフト・サケのジャンルには特に興味があるようで、無限の可能性があるといいます。現在、クラフトサケという法律的な定義はありませんが、それぞれの団体が異なる意味合いでクラフトという言葉を使っています。例えば、秋田県の『稲とアガベ』、福島県の『haccoba』、福岡県の『LIBROM Craft Sake Brewery』など、クラフトサケの注目度は高く非常にレベルが高いと言えます。彼らを尊敬しているし、土田酒造でも着手したいようです。

 そして飯米に特化した酒造りのため、農家との付き合いも多くあり、「自然栽培している方の話を聞くと微生物の話になるし、全部が繋がっているんですよね。農家の延長上に酒造りがあると思います」と米作りにも興味を持っている星野さん。

 「覚悟を決めないと出来ないことではあるのだけれど。自分の持っている技術も知識もオープンにして共有し、現場は早く今の蔵人に全て任せられるようにしたい。そうすれば、自分も米作りできるかもな、なんてそんなことも考えています」

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 山廃楽しい、生酛楽しい、無添加でうまい酒が出来て嬉しい、そんな素直な喜びで作業をしてきた星野さん。酒蔵で働きたいと言ってた学生が杜氏に就任するまで並々ならぬ努力と苦労があったと思います。しかし、酒造りが楽しいという思いで造った酒はどれも幸せな味がします。次はどんな酒が出てくるのかな、この酒はどんな味がするのかな、飲み手もそんな楽しみを味わっています。土田酒造と土田ファンは単純な味の美味しさだけでなく、楽しさと面白さ、ワクワクする気持ちでも繋がっているのだと感じました。