千葉県勝浦市の東灘醸造。慶応三年創業、海のそばで長年酒造りを続けてきましたが、休造を決断するまでに追い込まれたことがあったのです。それまでの経緯、製造を継続するまでに至った経緯を、蔵元に伺い東灘醸造株式会社社長、君塚 敦さんに伺いました。

漁業の盛んな場所での酒造り

 千葉県はカツオの水揚げで有名な場所ですが、中でも勝浦のひき縄漁で獲れたカツオは千葉ブランドの水産物に認定されています。そんなカツオ漁で賑わう漁港があり、観光客が集まる海水浴場やサーファーが訪れるリゾート地となっているのが千葉県勝浦。この場所で1897年から酒造りを続けているのが『東灘(あずまなだ)』『鳴海(なるか)』を醸す東灘醸造です。

 現6代目蔵元の君塚 敦さんは、明治大学農学部出身。微生物を学んだ後、お酢会社の研究所で働いていました。その後、滝野川にあった酒類総合研究所の研究生として通い、1年後に蔵へ戻ったのです。

 創業当初から続く『東灘』は、銘醸地 灘(兵庫県)のような、東の灘であるという思いから名付けられました。2006年には新しいブランドである『鳴海』を発売。勝浦湾の東に鳴海神社があり、鳴海音頭や学校の校歌に鳴海という歌詞が取り入れられたりと、地名には無いものの、勝浦では馴染みのある呼称だといいます。

「東灘は、神戸に東灘区があるので “あずまなだ” とは読んでもらえないことがほとんどなので。もうちょっと分かりやすいのがいいかなと鳴海にしたんですが、実はこれも “なるか” と読んでもらえなくて、失敗したかもしれません。」

と笑う敦さん。しかし『鳴海』が発売されるや、その芳醇でフレッシュな味わいは日本酒ファンに受け入れられ、人気銘柄となっています。

コンパクトな造り

 蔵の仕込みは湧き水を濾過して使用。海底だったのが隆起した場所らしく、中硬水。洗米、蒸しの作業は2階になります。水場の関係で1階で洗米をし、2階に麹室がある蔵も多い中、先代からこのように作ったのは作業効率を考えてのことなのでしょう。

 甑のすぐそばに放冷機があり、そのまま蒸米を移動させることが可能。そして向かい側に麹室があります。

 酒母室も同じ2階です。床には四角い枠があり開けられるようになっています。この真下が仕込みタンクで、ここから酒母や蒸米を落とし込むことが出来るようになっているのです。あまり広くないスペースでありながら効率良く作業できるようになっています。

床に開けられた穴からタンクに落とし込むことができる

 酒母室にも冷風機がありましたが、仕込みの最中は醪の温度を調整するために冷却器を使うことが多いのが現状。東北や信州など、特に寒い地域は暖気樽といって湯たんぽのようなものを使用し、温度を上げることがよくあります。しかし、勝浦では真冬でも気温がマイナスになることは無く温暖な気候。その場合、発酵している醪は熱を帯び、高温になりやすいのです。

 そこで、氷を入れた容器を醪に落とし冷却。暖冬の時は大量の氷が必要だといいます。

「恵まれているのは漁港がすぐそばだということ。自社の氷が間に合わなくなると漁港で氷が手配出来ますから。」

 勝浦ならではの対処法です。

 大きいタンクは貯蔵用でしたが、現在はほとんど使用していません。特に『鳴海』は瓶貯蔵のため、この場所を冷蔵室にしたいということでした。

小さい蔵だからこそ出来ること

 『鳴海』のきっかけは “東灘との差別化” でした。

「創業当時からある東灘とは違う美味しいお酒とは何かと考えた時に、生酒のしぼりたてなんじゃないかと思って。」

 と敦さん。一番最初はアル添の吟醸酒だったようですが、すぐに純米に切り替えます。そして、次の年から直詰をやってみようと挑戦し、搾りながら柄杓で瓶詰めするという非常に手間のかかる方法をとっていたのです。現在は、搾り機と瓶詰め機を横に並べ、搾ったそばから瓶に詰めるという作業。どちらにしても大変さは変わりありません。蔵元の敦さん、杜氏、アルバイトスタッフが揃わないとできない作業です。通常の造りは、洗米や酒母造りなど、最初の仕込みに関わる作業に人手が必要ですが、東灘醸造では鳴海の上槽にも最大の人手が必要なため、上槽日程の設定が難しいといいます。

「他の蔵ですと直詰はスポット的な商品になりますが、うちは小さい蔵ですから。生産量を考えても全員でやればなんとか出来ます。だからこそ鳴海は全て直詰にしようと思ったんです。」

 例えば今人気を博している奈良県の『風の森』、鳴海はこれよりずっと早く直詰を行ってきました。これは千葉だけでなく全国でも早い段階からの取り組みだったといえます。その苦労があるからこそ私たちは、ピチピチとしたガス感のあるフレッシュな味わいに魅了されたのです。

一度は休造を決断するも新体制へ

 鳴海の人気もあり順調に思えた東灘醸造ですが、一度は休造、そして廃業まで視野に入れる重大な局面に立ちます。2020年7月に今まで中心だった杜氏が退職することが決定し、次が見つからない状況が続きました。選択肢の一つとして敦さん自身が造るということは無かったのでしょうか。実際に、微生物を学び醸造の研究者だった経歴があるので、無理ではなかったはずです。

 「自分がもっと若ければ出来たかもしれませんが…やはり自分一人と少ないスタッフでは体力的に無理だと思いました。」

 「南部杜氏を迎え入れようかとも考えましたが、経済事情の問題もありますし。何より、ただ単に酒が出来ればいい、という訳ではありませんから。」

 と、納得のいく品質を造り続けていくことが重要だといいます。

 冬季に開始する造りの計画も立てなければならないため、ここで一度休造を決断。取引先一軒一軒に報告して回ったのです。その際に偶然、「退職して次が決まっていない杜氏がいる」という話を聞き、やりとりをして引き受けてもらうことに。それが、菊池譲さん。『残草蓬莱』を醸す大矢孝酒造、『水府自慢』の明利酒類で杜氏を務めてきた多くのファンを持つ職人です。

 「酒蔵には造りたい酒がある、酒造りに意欲がある、そんな杜氏が必要です。菊池さんの酒を造りたいという思いが伝わってきたので決めました。そういう強い思いをサポートしながら仕事をすることが、自分にも向いていると思うので。」

と敦さん。杜氏が変わると、やり方や酒質にも変化が訪れます。蔵元にとっては大きな転機ではないでしょうか。

 「基本は、今までの味をそのまま引き継ぐ必要はないと言いました。菊池さんが造りたいように、やりたいようにやって欲しいと思いました。」

 これだけしっかりと決断できるところが敦さんの器の広さなのでしょう。実際に、最初は目から鱗だったといいます。麹の特殊な造り方、乳酸を使用しない速醸など今までとは全く違うやり方です。

 「もちろん、乳酸添加やアルコールの添加が悪いわけではありません。でもより自然に近い方法へとシフトしていきました。」

 今期から全ての酒が生酛作りとなりました。これにより、また更に味わい深い『東灘』であり、パワーアップした『鳴海』へとなっていくことでしょう。

地域の活性化

 2014年に千葉日本酒活性化プロジェクト「アク千葉」がスタートしました。千葉の米で酒を醸す蔵を増やす、千葉全体の魅力を発信するといった目的で東灘醸造、木戸泉酒造、藤平酒造の3蔵で開始し、現在は飯沼本家と鍋店が加わり全5蔵での活動です。2019年からは佐藤農園が栽培している化学肥料、合成農薬不使用の山田錦を使用。同じ米で同じ精米歩合でそれぞれが醸す酒を味わえるのです。今後はアク千葉の酒に価格帯の高い商品を入れて、美味しく飲んでもらいたいと言います。今年(2023年3月)は初の蔵開きも行い、ファンが集まり大盛況でした。

 こういった蔵開きや酒蔵見学などは、人出が少ない小さな蔵は非常に難しいのが現状です。しかし、観光産業が重要な地域のため、地元の酒蔵として地域貢献をしながら観光資源の一端を担えればという考えで、酒蔵見学も事前連絡があれば可能な限り対応したいと仰っています。

 千葉県の日本酒の知名度の向上と地元の観光資源としての役割。休造の危機を乗り越えて更に飛躍した東灘醸造。これからの発展にも期待が高まります。

 東灘醸造株式会社
 〒299-5226 千葉県勝浦市串浜1033
 サイト >>> https://azumanada.net/
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